1990年代のイングランド代表を代表する名ディフェンダーであったスチュアート・ピアース。
イングランド代表ではリネカーの後を引き継ぎ16代目のキャプテンに就任。
イングランド史上最高の左サイドバックの1人として今も称えられるレジェンドです。
そんな彼が12シーズンにわたり在籍したのがこのノッティンガム・フォレスト。
最近はずっとEFLチャンピオンシップ(実質2部)に所属しているノッティンガム・フォレストですが、1978/79シーズンと1979/80シーズンにはUEFAチャンピオンズカップ(現在のUEFAチャンピオンズリーグ)を連覇するなど、古豪と呼ぶにふさわしい強豪チームでした。
スチュアート・ピアースが在籍した1980年代から90年代にも、2度のリーグカップとフルメンバーズカップで優勝。
彼はキャプテンとしてチームを牽引しました。
ところで皆さんは、フルメンバーズカップってご存じですか?
あまり聞きなれない大会だと思いますが、フルメンバーズカップとは、1985年5月29日にベルギー・ブリュッセルにあるヘイゼル・スタジアムで行われたUEFAチャンピオンズカップ決勝のリヴァプール(イングランド)対ユヴェントス(イタリア)の試合前に、サポーター同士の衝突がきっかけとなり発生した事故、いわゆる【ヘイゼルの悲劇】以降、イングランドのクラブがUEFAの大会から締め出されてしまった為、追加で設立されたイングランド国内の大会で、1985/86シーズンから1991/92シーズンまでの7回開催されました。
ノッティンガム・フォレストは7回行われた大会の内、1988/89シーズンと1991/92シーズンの2度も優勝を果たしています。
ノッティンガム・フォレストで一時代を築いたスチュアート・ピアースは、その後ニューカッスル・ユナイテッドやウェストハム・ユナイテッド、マンチェスター・シティを渡り歩き、2001/02シーズン終了後に現役を引退し指導者の道へ。
2005年3月にマンチェスター・シティの監督に就任すると、2007年からU-21イングランド代表監督を務め、2011年10月にロンドンオリンピックを控え、52年ぶりにイギリス代表として出場するチームの監督に就任しました。
このイギリス五輪代表の詳しい説明は、過去のブログで紹介しています。
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イギリスの4協会
イングランドサッカー協会(FA)
スコットランドサッカー協会(SFA)
ウェールズサッカー協会(FAW)
北アイルランドサッカー協会(IFA)
の合同チーム結成は、当時も大きな話題となりましたが、最後までスコットランドサッカー協会(SPA)は首を縦に振らず、結局イングランド代表から13名、ウェールズ代表から5名が選ばれ、スコットランド代表と北アイルランド代表からは1名も選ばれませんでした。
とはいえ、イギリスオリンピック代表の結成は世界中にインパクトを与え、監督を務めたスチュアート・ピアースもまたイギリスサッカーの歴史にその名を残すこととなりました。
ちなみに、この成功に気をよくしたイングランドサッカー協会 (FA)は、4年後の2016年リオデジャネイロオリンピックの際にも、4協会合同のイギリス代表結成を打診しましたが、イングランドサッカー協会 (FA)以外の3協会がこの申し入れを拒否。
やはり実現はしませんでした。
これもユニフォームが持つ魅力の1つですね。