レアモデル

一般市販のない幻の代表ユニフォーム!1998年U-19日本代表

1998年U-19日本代表ユニフォーム

1998年初めて出場したフランスワールドカップで着用した炎の日本代表ユニフォームと言えば、サッカー日本代表を長年応援してきた方ならお馴染みのモデルですね。

しかし、こちらのユニフォームはどこか違和感が・・・。

そうです!
1998 FIFA ワールドカップフランス大会で着用したモデルは、サプライヤーがアシックスでしたが、こちらのモデルはデザインは同じですが、サプライヤーはプーマ

ご存じの方も多いと思いますが、当時の日本代表ユニフォームは、同一のデザインのユニフォームを各年代ごとにアディダス、プーマ、アシックスの3社が持ち回りでサプライヤーを務めていました。

例えば、1992年から1995年にかけて使用された『ドーハモデル』と呼ばれるモデルは、フル代表では1992年がアディダス、1993年はプーマ、1994年はアシックス、1995年は再びアディダスというように、3社が順番に持ち回りでサプライヤーを務めました。

 

デザインが変わり、炎モデル(第1期)となった1996年はプーマ。

 

1997年、『ジョホールバルの歓喜』と呼ばれる、日本代表初のワールドカップ出場を決めた最終予選では、アディダスがサプライヤーでした。順番から行くとこの年はアシックスだったのですが、どういうわけかアディダスでしたね。

 

そして1998年日本代表初のワールドカップで着用されたモデルは、前述のとおりアシックスでした。

1999年以降は、現在に至るまで続くアディダスの独占契約となるのですが、1998年までの日本代表のサプライヤーはおおよそこのようになっていました。

ただし、これはフル代表に限ったお話し
その下の世代、例えばU-23やU-20、U-18などのアンダー代表と呼ばれる世代のユニフォームは、フル代表とは別のサプライヤーがユニフォームを供給していました。

例えば、フル代表のサプライヤーがアシックスだった1994年。
アトランタオリンピック出場を目指していたU-21代表はプーマ。その下のU-19はアディダスがサプライヤーを務めました。

翌年の1995年はフル代表がアディダス。オリンピック世代(U-22代表)がアシックス。そしてカタールで行われたワールドユースに出場したU-20代表はプーマがサプライヤーでした。

そして1998年はというと、フル代表のアシックスに対し、トルシエ監督が就任しアジア大会に出場したU-21代表はアディダス。そして、1999年のワールドユース出場を目指し、タイで行われたアジアユース選手権に出場したU-19代表が着用していたのがこのプーマ製のモデルでした。

当時のU-19日本代表には、小野伸二や稲本潤一、遠藤保仁、中田浩二、小笠原満男、本山雅志、高原直泰 etc.

翌年の1999年ワールドユースで準優勝を果たすこととなる才能あふれる若きメンバーが揃っていました。

もちろん、フル代表以外のユニフォームは一般市販されることがありませんので、こちらもその当時の若き選手たちが身に纏った選手用ユニフォームということになります。

ちなみに当時の2番は、現在、京都サンガでコーチを務める手島和希が着用することが多かったようです

初のワールドカップ出場に沸いた日本のサッカー界に、世界に通用する確かな才能を持った世代が台頭してきた時代。
そんな時代の特別なU-19日本代表ユニフォームでした。

ヴィンス君
ヴィンス君
一般市販のない、しかもアンダー世代のユニフォームはお金を出せば買えるというものではありません。
これを求め始めたら、その先にはユニフォームコレクションの深い深い沼が広がっています。
くれぐれもご注意ください。