アルゼンチンのサッカークラブといえば、ボカ・ジュニアーズを思い浮かべる方も多いと思います。
同じブエノスアイレスを本拠地とするリーベル・プレートとのスーペルクラシコは「熱いダービーマッチ」を越えて戦争に近い熱狂です!
そんなボカ・ジュニアーズのユニフォームカラーの由来、ご存知でしょうか?
あの見慣れた青いユニフォームにはおもしろ過ぎるエピソードがありました!
ボカの命運を賭けた”決闘試合”
まずボカの創立は1905年。
ラ・ボカ地区に住んでいたイタリア・ジェノバ人移民の5人の若者たちによって誕生しました。
この5人の若者は名前を「ボカの若者たち」という意味の『ボカ・ジュニアーズ』と命名。
問題のユニフォームカラーですが、設立から2年後の1907年時点では、青色のシャツと白色のパンツのユニフォームを使用していたそうです。
そしてある時、ブエノス・アイレスの別地区のチームと試合をする際、そのチームがボカの配色と似たユニフォームを着用していました。
そして両チームは話し合い、「負けた方がユニフォームの使用を止める」ということになり、まさかまさかの、ユニフォームカラー争奪の決闘試合になったのです!
そして何と、この試合ボカは敗戦。。。。
新しいデザインのユニフォームを決めなくてはいけなくなりました。
「さぁ、どうしよう・・・」
失意の中、みんなで集まって相談です。
そして、港湾労働者で当時のクラブ会長のファン・ブリチェット氏が発言します。
「明日の朝、港に最初に来た船のカラーを新ユニフォームの色にする!!!」
いや、冗談だろ、アルゼンチンジョークだろ、と思いますが、これが通ります。
すると翌日、ボカの港に現れたのは・・・
なんと青色と黄色の国旗をなびかせたスウェーデンの貨物船でした!
その結果、ボカ・ジュニアーズは青色と黄色を新しいチームカラーにすることに決めたのです。
そして新ユニフォームは青色のシャツに黄色のタスキ掛けのデザインになりました。
その当時のデザインのユニフォームがこちらこちらのユニフォーム、2005年のクラブ創立100周年に発売された復刻ユニフォームです。
今見るとタスキ掛けのデザインが新鮮です!
ただ最大のライバル、リーベル・プレートのユニフォームに似ている気も・・・・
右袖には100周年の記念パッチ。
このタスキ掛けのユニフォームは1912年まで使用されました。
そして1913年、ボカはユニフォームのデザインを変更し、新ユニフォームは青色のシャツに黄色の太い横線が1本入ったデザインに決定。
こうして現在に至るお馴染みのボカのユニフォームが誕生しました!
こちらはドイツやジュビロ磐田などで活躍した高原直泰氏も在籍していた2001年シーズンのホームモデルこの時代のカラーはたしかに「スウェーデンの国旗カラー」を連想させますね!
こちらはアルゼンチンの英雄、ディエゴ・マラドーナ氏が在籍していた1995-96シーズンのホームモデル!お腹にある黄色の太い横線が一目で「ボカ」とわかります。