サッカー界のファンタジスタといえば真っ先に思い浮かぶロベルト・バッジョ。
「ロビー」の愛称で親しまれ、90年代のサッカー界は彼を中心に回っていました。
そしてバッジョといえば背番号『10』。
セリエAデビューをしたフィオレンティーナでの1986/87シーズンから、引退した2003/04シーズンのブレシアまで、ミランでの2シーズンを除いてクラブチームでは全て10番を付けてプレーしていました。
まさしく“10番の象徴”だったバッジョですが、
なぜミランでの2シーズン(1995/96、1996/97)は10番ではなかったのか・・・
我を通さず18番を選択
まずはミランに移籍する前の1994/95シーズン。
このシーズンはユベントスでの5シーズン目で、もちろん背番号は『10』でした。
その時のユニフォームがこちらこのユベントスでのラストシーズン、自身初めてのセリエA優勝を経験。
しかしデル・ピエロという若手の台頭や、年俸交渉のもつれなどから、バッジョはミランへの移籍を決断。
ここで持ち上がったのが“背番号10は誰が着るのか問題”
なぜなら移籍先のミランには当時のユーゴスラビア代表、デヤン・サヴィチェヴィッチがすでに10番を付けていました。
しかもこの1995/96シーズンからセリエAも固定番号制になるため、「誰が何番か」をはっきり決めなければなりません。
「さぁバッジョは背番号『10』を要求するのか?」と世間の注目を集めました。
そしてバッジョが選んだ背番号はこちら18番!!!
“イタリアの天才”は“ユーゴスラビアの天才”に敬意を表し『10』を譲り、自身は誕生日に由来する『18』を選択したのです。
(バッジョの誕生日は1967年2月18日)
バッジョはミランでの最後のシーズンとなった翌1996/97シーズンも『18』を継続。
そしてミランでは納得いくプレーができなかったバッジョは翌1997/98シーズンは新天地にボローニャを選択。
ボローニャでは再び自身の代名詞である背番号『10』に戻しました!
代表でも『18』を着用
バッジョにとってクラブチームで『10番』意外に唯一付けた番号『18』ですが、イタリア代表でも1998年のワールドカップ・フランス大会にて着用しました。
それがこちら
サプライヤーはナイキ社で、名前の表記の「R.」が「BAGGIO」の後にきているのが特徴的で面白いですね!
この98年ワールドカップ・フランス大会。
ボローニャでの活躍が評価されメンバー入りしたバッジョ。
しかし代名詞の『10』はデル・ピエロに譲り、『18』を選択。
アズーリは準々決勝で敗れましたが、バッジョは2得点1アシストを記録し随所で華麗なプレーを披露しました。