トリビア

実は“公式戦初”はこっち!1992年、浦和レッズ初の公式戦ユニフォーム!

1992年浦和レッズユニフォーム

1992年、プロサッカーリーグ発足時の所謂オリジナル10の一角であり、熱狂的なサポーターを持つことで知られる浦和レッドダイヤモンズ

チーム名の“レッドダイヤモンズ”の由来は、クラブカラーの「レッド(赤)」と「ダイヤモンド」の特徴である“固い結束力”と“最高の輝き”を組み合わせたところから、このチーム名になりました。

浦和レッズの最初のユニフォームというと、Jリーグ開幕時に使用したこちらのモデルを思い浮かべる方も多いと思います。1993年浦和レッズユニフォーム1993年浦和レッズユニフォーム

しかし1993年のJリーグ開幕より半年程前の、1992年9月5日に開幕したJリーグ初の公式大会がヤマザキナビスコカップでした。

この日、大宮サッカー場(当時)にジェフユナイテッド市原(当時)を迎え、浦和レッドダイヤモンズとして初の公式戦に臨んだ選手たちが身に纏っていたのがこちらのモデル。1992年浦和レッズユニフォーム赤×黒×白の組み合わせがカッコいいですね!
この「黒」はダイヤモンドを表現しているらしいです!

背面はシンプルにレッズの「赤」。1992年浦和レッズユニフォーム

サプライヤーはPUMA(プーマ)社。1992年浦和レッズユニフォームのプーマロゴ

この時使われていた背番号と前面左胸の番号のデザインは「ドイツ型」のゴシック系立体フォントでした。1992年浦和レッズユニフォームの背番号1992年浦和レッズユニフォームの胸番号このドイツ型フォントが予言していたのか、その後レッズに所属する外国人選手もドイツ路線となっていくことになります。

ちなみに対戦相手のジェフユナイテッド市原はアウェイ用となるこのモデルを着用していました!1992ジェフユナイテッド市原
“SEGA”がめちゃくちゃ懐かしいですね!

浦和レッズ初の公式戦

記念すべきこの試合のスタメンは・・・

GK 土田 尚志
DF トリビソンノ
田中 真二
村松 幸典
MF 望月 聡
名取 篤
佐藤 英二
オズバルド・エスクデロ
FW 尾崎 加寿夫
柱谷 幸一
福田 正博

の11人でした。

ちなみにこのヤマザキナビスコカップは、予選リーグから引き分けが無く、90分間で同点の場合はVゴール方式の延長戦(当時はサドンデス方式と呼ばれていました)を行ない、それでも決着が付かない場合はPK戦まで行いました。

ヴィンス君
ヴィンス君
個人的にVゴールは大好きでした!

また、勝ち点は4点。90分以内に2得点すると勝ち点1のボーナスが貰えるという、変則的なルールで開催された大会でした。

Jリーグ初の公式戦となった同大会で、浦和レッズは予選リーグ5勝4敗の成績で10チーム中5位

上位4チームのみが進める決勝トーナメントには惜しくも進出することは出来ませんでした。

ヴィンス君
ヴィンス君
この懐かしの一枚ですが、市販用のユニフォームの胸にプリントされた『Red Diamonds』は、選手用ユニフォームには三菱自動車の車種だった『GALANT』とプリントされていました。また市販用の胸のチームロゴも選手用は左袖に付いていました!