1982年にフランス代表の10番ミシェル・プラティニがユベントスへ、1983年にセレソンの10番ジーコがウディネーゼへ、そして1984年にアルゼンチンの10番ディエゴ・マラドーナがナポリへ加入するなどビッグスターが続々とイタリアへ渡った1980年代。
1987年には、ACミランの監督に就任したアリゴ・サッキ監督によるゾーン・ディフェンスと、フリット、ファン・バステン、ライカールトのオランダトリオの活躍でロッソネロが欧州を席巻しました。
プラティニ曰く、「クリスマスに試合がないし太陽も楽しめる。」と、日程と気候の良さをイタリア移籍の要因に挙げたのは有名な話。
その後も、スタープレーヤーがスタープレーヤーを呼び、いつしか『世界最強リーグ』という呼ばれ方をしました。
世界中のサッカー選手にとって憧れの地となったイタリアリーグのセリエA。
その中でも、イタリア北部のユベントス、ACミラン、インテルは特別な輝きを放つBIG3として君臨しています。
今回は、日本でも人気を分かつ、この3クラブでプレーした経歴を持つ選手を紹介します。
1人目は、ロベルト・バッジョ。
1990年代のイタリアサッカーにおける象徴的な選手で、自由と組織の間で苦しみながらも輝いたファンタジスタ。
ユベントスでは1993年にUEFAカップを獲得しバロンドールも受賞。ACミランでは1995/96シーズンにセリエA優勝に貢献。そしてインテルでは怪物ロナウドとの共演で注目を集めました。
チャンピオンズリーグ出場権をかけたパルマとのプレーオフでは、史上3人目となるガゼッタ・デッロ・スポルト紙で10点満点を叩き出し、自身を冷遇したリッピ監督を解任から救いました。
ちなみに、バッジョ以前に10点満点を出したのは、1994年アメリカワールドカップで1試合5得点を挙げたオレグ・サレンコと、ピッチ上で意識を失った味方選手を心臓マッサージと人口呼吸で救ったカリアリのGKアレッシオ・スカルピのみでした。
2人目は、ズラタン・イブラヒモビッチ。
規格外のフィジカルとメンタリティーの持ち主で、彼がチームに加わると“戦術イブラヒモビッチ”が合言葉になるほど。
在籍したユベントス、インテル、ACミランではいずれもスクデットを獲得し優勝請負人と呼ばれました。40歳となる現在もACミランでプレーを続けリーグ8得点を記録。得点への嗅覚が衰えることはありません。
他にもこの3クラブでプレーした選手は数名いますが、いずれのクラブでもリーグ優勝を経験したのはイブラヒモビッチだけとなっています。
3人目は、アンドレア・ピルロ。
『イタリア史上最高のレジスタ』といえば彼を思い浮かべるファンも多いと思います。
レジスタとはイタリア語で指揮者・演出家という意味で、ピッチの中央で攻撃の全権を担う彼にぴったりな称号といえます。
インテルで大きなインパクトを残すことは出来ませんでしたが、2002/03シーズンに加入したACミランではチャンピオンズリーグ優勝を2度経験し計9個のタイトルを獲得、2011/12シーズンから4年間在籍したユベントスではリーグ4連覇を成し遂げ、カルチョ・スキャンダルからの完全復活を印象付けるとともにユベントス黄金期の礎を築きました。