永く愛される名作ユニフォームの誕生!
サッカー好きであれば知らない人はいないであろうユニフォームといえば・・・
今回紹介します1994年のイタリア代表ユニフォームです!!!イタリア出身の世界的ファッションデザイナーであるジョルジオ・アルマーニがデザインしたユニフォームで遠くから見ても近くで見ても文句なしにカッコいい名作ユニフォームです!
マーキングは胸番号も背番号も3色1枚のフェルト素材。
イタリアサッカー協会ロゴが透かしで織り込んであります。
襟にも国旗カラーの3色が配列されています。
このカッコ良さはデザインも然る事ながら、1994年ワールドカップ・アメリカ大会におけるイタリアの勝ち上がりと、ロベルト・バッジョの復活ストーリーが欠かせません。
それらがあるからサッカーファンにはより一層輝いて見えるのです。
暑さに苦しめられたアメリカ大会
ゾーン・プレスの生みの親、アリゴ・サッキ監督に率いられたイタリアは、前回大会優勝のドイツ、そしてブラジル、コロンビアと共に優勝候補の一角とされていました。
しかし、いざ開幕すると猛暑に苦しめられ本来の力を発揮できない国が続出。
初めてヨーロッパと南米以外での開催となったワールドカップ・アメリカ大会は、ヨーロッパの人たちがテレビを見やすい時間帯に合わせて昼間に多くの試合が行われました。
イタリアもこの暑さに苦しめられ、本来の力を発揮できず初戦のアイルランド戦でまさかの敗戦(0-1)。。。
つづく第2戦、負けたら予選敗退となるノルウェー戦はさらに厳しい戦いとなりました。前半21分にゴールキーパーのパリュウカが相手の選手をエリア外で止めて一発退場。。。
守備を固めなければならないイタリアはやむなくエースのバッジョを下げる大胆采配に打って出ます。
初戦で負けているイタリアは点を取って勝たなければ決勝トーナメント進出が厳しくなる状況でバッジョを下げたのです。
さらに悪いことは続き、後半開始早々に守備の要であるフランコ・バレージが膝の負傷で交代を余儀なくされました。
もう絶望のどん底、絶体絶命です。
そんな中、この大ピンチを救ったのが、ご存知もう一人のバッジョ、ディノ・バッジョでした。
フリーキックからヘディングで値千金の決勝ゴールをあげ辛くも勝利を収め勝ち点3を獲得しました。
そしてグループリーグ最後のメキシコ戦は1-1で凌ぎ、勝ち点4でグループリーグ3位の中でもギリギリで決勝トーナメント進出を決めました。
何とか決勝トーナメント進出を決めたイタリア
決勝トーナメント(ベスト16)以降も、ナイジェリア、スペイン、ブルガリアと厳しい戦いが続きましたが、ここからイタリアらしい粘り強い守備(カテナチオ)とカウンターが徐々に機能し始めました。
そんなチームを引っ張ったのがイタリアの至宝と称される男です。
ロベルト・バッジョの為の大会とも云われる所以はここからが本番です。
まず、決勝トーナメント1回戦のナイジェリア戦は後半43分まで0-1の敗戦濃厚ムード。
しかも、途中出場のゾラが交代から10分後に報復行為と見なされるタックルで一発退場となり、イタリアは10人で戦うことになってしまいました。
ナイジェリアはこの1994年がワールドカップ初出場でしたが、すでにヨーロッパで活躍している選手も多く身体能力は圧倒的、さらにこの猛暑も彼らの味方となり運動量は落ちません。
誰もがここまでかと思い始めた後半43分に、ゴール正面でパスを受けたバッジョはダイレクトで狙いすましたインサイドシュート。
ボールは針の穴を通すような軌道でゴール左隅に吸い込まれていきました!
その後、延長に突入しバッジョのパスからイタリアにPKが与えられ、これをバッジョ自身が決め、苦しみながらも準々決勝へ駒を進めました。
120分の死闘を演じたナイジェリア戦で着ていたのはこちらのアウェイ用です。アウェイの白もカッコいいですね♪
番号はホームの反転で青色に影が付いたものです。
続く準々決勝のスペイン戦でも1-1の後半42分にバッジョがゴール!!!
相手ディフェンダーの裏に抜け出したバッジョにシニョーリから浮き球パス。
ゴールキーパーのスビサレータをかわした次のタッチがやや右に流れてしまいますが角度のないところから強めにゴールへ叩き込みました。
ナイジェリア戦もスペイン戦も、試合終了まで残り数分という時間帯に貴重な貴重なゴールをあげているバッジョの活躍。
まさに神がかっていると思いませんか?
このゴールが決勝ゴールとなりイタリアは苦しみながらも準決勝まで勝ち進みました。
バッジョ劇場は準決勝のブルガリア戦でも試合開始早々に全開モード。
バッジョが前半21分と25分に立て続けにゴールをあげてみせたのです。
もう止まりません!なんと!決勝トーナメントに入ってからの3試合で5ゴールです。
イタリアとバッジョにとって見事なまでの復活劇といえます。
初戦で敗れ、レッドカードも2枚、バレージも戦線離脱し、猛暑続く中での連戦。
さらに準決勝で太腿を負傷しながらも痛み止めの注射を打って決勝の舞台に立ったバッジョ。
決勝のブラジル戦でもゴールを決めてイタリアを4度目の世界一に導いた奇跡の物語…よく出来た映画ならばこう終わるはずのストーリーでしたが、サッカーの神様は時に悲劇のヒーローを欲するものです。
120分を戦い抜き、全てを出し尽くした決勝のブラジル戦の最後のPK。
バッジョが蹴った最後のPKは無情にもバーの上へ。
PKを外したあと、その場に立ちすくみ、グラウンドを見つめるその姿は、まさに悲劇のヒーローでした。
得点王となった両名(ストイチコフとサレンコ)もワールドカップ得点王ですからその栄光は記録に残り続けます。
でも、やっぱり私はこう思うのです。
1994年のアメリカワールドカップは、バッジョの為の大会であったと。