現役時代はもちろん、引退してもなお、貴公子であり続けるデイヴィッド・ベッカムさん。
フリーキックや精度の高いクロスを武器に常に話題の中心にいました。
プレーだけではなく、そのルックスで女性ファンからも圧倒的な人気でしたね。
ベッカム引退後、世界規模で彼以上に女性から人気を集めたサッカー選手っていないのではないでしょうか。
イングランドの貴公子ベッカムのワールドカップ戦記
ベッカムの長い現役生活の中で皆さんはどんな場面が一番印象に残っていますか?
今回は1998年フランスワールドカップと2002年日韓共催のワールドカップでの
ベッカムとアルゼンチン(シメオネ?)の因縁の物語を振り返ってみます。
1998年ワールドカップ フランス大会。
イングランドは16強に進出し、対戦相手は宿敵のアルゼンチン。
2-2の同点で迎えた後半2分。
ここでベッカムのその後のキャリアに大きな影響を与える出来事が起きます。
アルゼンチンのディエゴ・シメオネからの激しいマークで倒されたベッカムは、いらだちを隠せず、うつぶせのまま蹴りを入れてしまったのです。
当然、一発レッドで退場処分となってしまいました。
その時のユニフォームがこちら↓試合は結局イングランドが敗れ、母国のメディアから、
「10人のライオンと1人の愚かな若者」という大バッシングを浴びることになってしまったのです。
しかし人生とは必ず挽回の機会が訪れるものです。
なんと4年後の2002年 日韓ワールドカップで再びアルゼンチンと戦うことになったのです。そう、あの日本中が熱狂したベッカムヘアーの2002年です。
そしてベッカムはこの時、イングランドのキャプテンにまで成長を遂げていました。
この試合、因縁のシメオネもスタメンで出場。
試合はマイケル・オーウェンが奪ったPKをベッカム自身が冷静に決め、1-0でイングランドが勝利。
見事1998年のリベンジを果たしました。
その時のユニフォームがこちら↓
どんなにバッシングを浴びても、その悔しさをバネに飛躍する、
そんな生き様をベッカムから学んだ2002年でした。。。
ちなみベッカムは次の2006年ドイツ大会まで見事にキャプテンを務めあげ、イングランド代表としてワールドカップ3大会で通算13試合に出場しています。