選手ヒストリー

メッシよりすごかった!?元祖ロナウドが見せた衝撃の2シーズン!

ロナウドの96-98のバルセロナとインテルのユニフォーム

「戦術はロナウド」 元祖ロナウドの凄すぎる2シーズン

フェノーメノ(怪物)の愛称で知られ、クラブチームでは主にPSV、バルセロナ、インテル、レアルマドリード、ミラン等で活躍したロナウド氏。
ブラジル代表としても4度のワールドカップ出場(94年アメリカ大会は出場機会なし)、2002年の日韓大会では得点王に輝きブラジルの優勝に貢献しました。

ヴィンス君
ヴィンス君
あの「大五郎カット」は「ベッカムヘアー」と共に日韓大会のハイライトでしたね!

輝かしいキャリアだったロナウド氏ですが、ここではあえてバルセロナ時代の1996/97シーズンと、翌年のインテル一年目の1997/98シーズンにスポットを当てたいと思います。

その理由は・・・
凄すぎたから!!!です。
とにかくこの2シーズンはサッカーシーンの中心にいてブイブイ言わせていました!
ロナウド氏の全盛期はこの2シーズンと言っても過言ではないと思っています。

若いサッカーファンの方はロナウドといえばクリスティアーノ・ロナウドだと思いますが、30代以上のサッカーファンでロナウドといえば、ブラジルのロナウドが元祖だと思います!
それぐらいすごい選手でした!

1シーズンのみの在籍だったバルセロナ時代

オランダのPSVからバルセロナに移籍してきた1996/97シーズン。
アトランタオリンピック後だったにもかかわらず、期待通りのすごい成績を残します。
なんとリーグ戦では37試合・34得点(もちろん得点王!)、公式戦通算で49試合・47得点!
当時監督のボビー・ロブソン氏が「戦術はロナウドだ」と言ったことは有名です。
そのシーズンのユニフォームがこちら↓1996-97ロナウドのバルセロナのホームユニフォーム1996-97ロナウドのバルセロナのホームユニフォーム前面当時のバルセロナのユニフォームのサプライヤーはKappa(カッパ)社で、1998年からナイキ社になりました。
ちなみにカッパ社は1992年から1998年までバルセロナのサプライヤーでした。

ヴィンス君
ヴィンス君
まだ胸スポンサーが無い時代なのでスッキリしていてカッコいいです!

このシーズンのハイライト、いや、ロナウド氏のキャリアのハイライトとも言えるプレーは、リーグ戦の対コンポステーラ戦でみせた、60メートルをドリブルで激走して決めたあの一撃ではないでしょうか。

当時史上最高額となる移籍金でインテルへ移籍

インテルへ移籍した最初のシーズンもロナウド氏の怪物ぶりは衰えません。
1年目の1997/98シーズンはUEFAカップの優勝にも貢献するなど、公式戦通算で47試合・34得点!
セリエAにおける1年目の外国人選手の最多得点記録を樹立しました!
そのシーズンのユニフォームがこちら↓1997-98ロナウドのインテルのホームユニフォーム1997-98ロナウドのインテルのホームユニフォーム前面当時のサプライヤーはアンブロ社。
インテルのユニフォームのサプライヤーは1991年から1998年までアンブロ社で、1998年からナイキ社になりました。

ロナウド氏と言えば「9番」のイメージですが、インテル初年度は「10番」でした。
98年にあのロベルト・バッジョのインテル加入に伴い「9番」に変更しています。
(この時のインテルの背番号物語も面白いのですが、また別の日に。)

ヴィンス君
ヴィンス君
ロナウド氏の「10番」も、アンブロのインテルも新鮮な1枚です!

このシーズン中、2年連続となるFIFA年間最優秀選手賞と、初となるバロンドールをダブルで受賞しました。
まさに「世界最高の選手」でした!

このまま活躍を続けていくのかと思われたロナウド氏ですが、その後のキャリアはケガに苦しみ、この2シーズンのような「圧倒的な活躍」は影を潜めたように思います。
そのぐらいこの2シーズンはメッシ、クリスティアーノ・ロナウドをも凌駕する輝きを放っていました!

ヴィンス君
ヴィンス君
「ケガが無ければどうなっていただろう」と思わせる選手のNo.1です!
膝のケガがなければ、間違いなくサッカーの歴史が変わっていたでしょう!