元イタリア代表GK、フランチェスコ・トルド氏。イタリア共和国ヴェネト州パドヴァで生まれ、身長19cmと恵まれた体格でGKとしてプレー。
1989年にACミランでプロキャリアをスタート、その後中小クラブを転々としていました。
1993年にフィオレンティーナに加入し、才能を開花させると、1995年にはイタリア代表で初出場。
イタリア代表では、絶対的なライバルであるジャンルイジ・ブッフォン選手と定位置を争っていました。
そんな2人の関係性でしたがEURO2000では、ジャンルイジ・ブッフォン選手が大会直前に負傷離脱。
背番号12番をつけたフランチェスコ・トルド氏に大舞台での出場機会が回ってきました。
特筆すべきは準決勝のオランダ代表戦。
試合中とPK戦を含め、4本のPKをセーブし、さらに何度も絶体絶命のピンチをしのぎチームの決勝戦へと導きました。
2001年7月4日、フランチェスコ・トルド氏はフィオレンティーナからインテルへ活躍の場を移します。
インテルでも正守護神としてプレー。
そんなインテルでの2シーズン目、イタリアダービーで事件は起こります。
イタリアダービーとはインテルとユベントスが対戦するカード。
(1967年にこの名称がつけられ、当時セリエAを10回以上優勝していたのがこの2チームのみ。敬うために呼ばれるようになったという説が濃厚だとか。)
事件が起きたのは2002/03シーズンの10月。
このシーズンは、ユベントスがスクデット争いをリードしており、後れを取っていた2位のインテルにとって絶対に負けられない試合となっていました。
ホームであるスタディオ・ジュゼッペ・メアッツァで開催された試合はまさに意地と意地のぶつかり合い。
お互い負けられない試合ということもあり、スコアレスのまま試合は後半終盤戦へ。
87分にマウロ・カモラネージ氏がフランチェスコ・ココ氏にエリア内で倒され、ピエルルイジ・コッリーナ氏がホイッスルを吹きました。
ユベントスが試合終了間際にPKを獲得、キッカーはもちろんアレッサンドロ・デル・ピエロ氏。
インテルのティフォージが盛大にブーイングする中、きっちりと左隅にシュートを蹴りこみ、大事な先制点をマーク。
対する絶対に負けられないインテルは、ここから猛攻撃をスタート。
ロスタイムに突入した92分に、CKを獲得。
エクトル・クーペル監督に試合前、「もし負けていたら、ロスタイムのセットプレーは前線に上がります。」と言っておいたというフランチェスコ・トルド氏はゴール前へ。
フワッと上がったボールはゴール前の混戦で、ジャンルイジ・ブッフォン氏の手をはじき、フランチェスコ・トルド氏の目の前に。
体で押し込み、劇的な同点ゴールを決めスタジアムは興奮の坩堝と化しました。
チームメイトにもみくちゃにされながら、慣れないゴールを祝うその姿は伝説のシーンとなりました。
しかし、試合後悲しい事実が発覚します。
リプレー検証の結果、ロスタイムの同点弾はフランチェスコ・トルド氏のものではなく、クリスチャン・ヴィエリ氏のゴールだと訂正されてしまったのです。
「お願いだから、僕の得点ってことにしてよ」と試合後本音を漏らしたフランチェスコ・トルド氏。
一生に一度あるかないか、そんな瞬間を取り消されてしまったら誰でもこう思うでしょう。
数年後にこの出来事について聞かれたフランチェスコ・トルド氏は、
「チャンスを生かそうと思って前に出た。うまくいったよ。このゴールは私のものであり、私が守っています。
更衣室ではみんなが私を抱きしめてくれましたが、確かに歴史に残るゴールだと思います。
サッカーの素晴らしいところは、予測不可能なところだ。」
とコメント。
サッカーの醍醐味を、経験と絡めて我々に気づかせてくれる素敵な発言ですね。
【2002/03】インテル(GK)/ CONDITION:B / SIZE:XL / #1 / TOLDO / レガ・カルチョパッチ
Vintage Sports渋谷店&オンラインストアにて販売中!
⇒商品はコチラから