先日、惜しまれながら現役を引退した内田篤人選手。
清水東高校から鹿島アントラーズに入団し、加入初年度となった2006年のJリーグ開幕戦で、クラブ史上初となるスタメン出場を果たすと、第4節の甲府戦ではクラブ史上最年少記録となるゴールを記録。
入団当初から実力をいかんなく発揮し、日本代表にも選出された内田は、2010年にはドイツの名門シャルケ04へ移籍しました。
シャルケ04でも早々にレギュラーの座を掴んだ内田にとって、ドイツでの初めてのタイトル獲得となったのがこの2011年のDFBポカール(リーグカップ)でした。
準決勝ではバイエルン相手にラウール・ゴンサレス氏のゴールで勝利。
決勝戦では当時ブンデスリーガ2部に所属していたMSVデュースブルクと対戦することになりました。
ホーム扱いとなったMSVデュースブルクのホームモデルは青白の横縞。
アウェー扱いとなったシャルケもホームモデルは青、アウェーモデルは白。
用意していた2着のユニフォーム、どちらも色が被ってしまう窮地に陥りました。
そんな状況をシャルケはどうやって解決したかというと、「翌シーズン用のサードモデルを前倒しして着用する。」という力技で解決。
それがこちらのユニフォーム。このユニフォームは2012/13シーズンの終了までサードモデルとして着用することになりました。
袖にはDFBポカールのパッチ
胸には決勝戦のマッチデープリント
試合は前半18分に、当時17歳だったユリアン・ドラクスラー(現PSG)の先制点を皮切りに、フンテラール、ヘーヴェデス、フラドが次々に得点を挙げ、5-0の圧勝。
内田選手は81分にクルーゲに代わり出場。
優勝の瞬間をピッチ上で迎えました。
試合後、GKのマヌエル・ノイアー(現バイエルン)に肩車をされ、控えめに優勝カップを掲げる内田選手の姿は、当時の女性ファンを大いに喜ばせました。
ちなみに当時のシャルケには、元レアル・マドリードのラウールや、現リバプールのジョエル・マティプの他、メッツェルダーやファルファンなど錚々たるメンバーが揃った好チームでした。