ボルシア・ドルトムントにとってヨーロッパの舞台で最も成功したシーズン、それはこの1996/97シーズンです。
今回紹介したいのは、1996/97シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ用モデルとなります。当時の19番は元ポルトガル代表、パウロ・ソウザ氏です。当時のドルトムントのユニフォームは背番号のみでネームは付きません。
柿谷曜一朗選手がスイスのバーゼルに加入した時の監督さんだったので、覚えている方もいるかも知れませんね。
2020/21シーズン終了時点で、ブンデスリーガ優勝回数30回と圧倒的な成績を誇るバイエルン・ミュンヘンに対し、ボルシア・ドルトムントは5回の優勝を数えます。これはバイエルンに次いで2位の記録なのですが、随分と差を付けられてしまった印象です。
そんなバイエルン・ミュンヘンとボルシア・ドルトムント。両者の対戦はドイツ版『クラシコ』を意味する、『デア・クラシカー』と呼ばれ、ドルトムント VS シャルケの『ルール・ダービー』と並び、ドイツ国内のみならず、世界中で大きな話題となる一戦です。
そんなライバル関係の両チームですが、この1996/97シーズンを迎えるまで、バイエルン・ミュンヘンにあってボルシア・ドルトムントにないもの、それがUEFAチャンピオンズリーグのタイトルでした。
それまで、ボルシア・ドルトムントが獲得した国際タイトルと言えば、1965/66シーズンに獲得したUEFAカップ・ウィナーズ・カップのみ。
対するバイエルンは、UEFAチャンピオンズカップ時代の1973/74、1974/75、1975/76と3連覇を達成。
しかも、ドルトムント唯一の国際タイトルだったUEFAカップ・ウィナーズ・カップも、ドルトムントが優勝した1965/66シーズンの翌シーズン1966/67シーズンにバイエルンも初優勝。
さらにこの1996/97シーズンの前年、1995/96シーズンにバイエルンはUEFAカップでも初優勝。UEFA主催の3大会すべてで優勝を果たすという偉業を成し遂げていました。
ボルシア・ドルトムントにとってこれ以上、ヨーロッパの舞台でバイエルンに対し後れを取るわけにはいかない状況で臨んだ1996/97シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで着用したのがこのモデルです。国内リーグ戦で着用していたモデルとは違う、UCL専用デザインを用意してきたことからもタイトルにかける意気込みが伝わってきます。
当時の胸スポンサーはドイツの保険会社であるDie Continentale。ロゴと文字のすべてが入っているリーグ戦用に対し、UCL用の胸スポンサーはロゴだけになっていますが、これは当時のUEFAの規定に合わせるための措置です。
スペインのアトレティコ・マドリードと同じグループに入ったグループステージでは、4勝1分け1敗でアトレティコと並び得失点差で2位で決勝トーナメントに進出したドルトムントは、準々決勝でフランスのオセールに2戦合計4-1で快勝。
続く準決勝の相手はエリック・カントナやデビッド・ベッカムを擁するマンチェスター・ユナイテッド。
この強豪相手にホーム、アウェイ共に1-0で勝利し、クラブ史上初となるUCL決勝に進出します。
そして決勝戦の相手は、前年にUCL優勝を成し遂げている王者ユベントス。
ジネディーヌ・ジダンやアレッサンドロ・デル・ピエロを擁し、決勝まで1試合も負けることなく勝ち上がってきた優勝候補ユベントスに対し、苦戦が予想されたドルトムントでしたがユルゲン・コーラー、シュテファン・ロイター、パウロ・ソウザ、アンドレアス・メラーなど、元ユベントスに所属した選手を多くスターティング・メンバーに起用し試合を有利に進めると、新星ラース・リッケンが、途中出場後のファーストタッチで見事なミドルシュートを決めて勝利を決定づけました。
こうして、ボルシア・ドルトムントにとって現在のところ唯一となるUEFAチャンピオンズリーグ制覇は達成されたのです。
残念ながら、UCL決勝の舞台では選手が着用したのはこのユニフォームではなく、翌シーズンの1997/98シーズンモデルを着用。
胸スポンサーがUCL仕様になった1996/97 UCL決勝モデルは、ほぼ一般市販がなかったため入手はとても困難となってしまいました。※96-97UCL決勝モデルは、このモデルの胸スポンサーが『C』マークのみになったもの
このシーズン以降、ドルトムントはストライプ柄のユニフォームを度々リリースしていますが、それはこの1996/97シーズンの偉業にあやかったものなのかも知れませんね。
あなたにとってのそんな1枚はどのモデルですか?