1998年シーズンをもってチームの歴史は幕を閉じましたが、『オリジナル10』の一角として今なお語り継がれている横浜フリューゲルス。
エドゥーの左足のフリーキックや、得点時にお尻を合わせて踊る“モネールダンス”には何度も心踊らされました!
そしてやはり忘れられないのが、クラブ最後の試合となった1999年元日の天皇杯決勝。
この伝説の天皇杯決勝。
フリューゲルスは見事、清水エスパルスを破って“強いフリューゲルス”のままクラブの歴史に幕を閉じました。
その時のユニフォームがこちら最後の試合で着用したのはこのシーズンのホームモデルでした!
袖には翼(ドイツ語で「フリューゲル」)をイメージしたネイビーと水色のラインが広がっています。
横浜フリューゲルス“最後の10番”は名ドリブラーとして名を馳せ、現在(2020年)東京ヴェルディの監督を務める永井秀樹氏。
前年(1997年)にリーグ戦のサプライヤーもミズノ社からPUMA(プーマ)社に変更。
プーマ社の初代モデルとなるこの一枚は、前シーズンから引き続きこのラストシーズンのホームモデルを務めました!胸スポンサーは1993年のJリーグ開幕時から変わらずに
ANA(全日本空輸株式会社)と
SATO(佐藤工業株式会社)
ちなみに、このシーズンのアウェイモデルはこちらホームモデルと同じくアウェイモデルも1997年と1998年シーズンは同じモデルでしたが、このアウェイモデルは着用機会が少なく希少価値の高い一枚になっています!
史上最高の『有終の美』
1998年10月にチームの合併消滅が発覚後、リーグ戦、そして天皇杯優勝まで、なんと無敗で駆け抜けたフリューゲルス。
“負けたらチームが消滅”という極限の状態でプレーした選手達。
その極限の状態でも、優勝という結果を残したチームだからこそ、現在でも語り継がれる伝説になったのだと思います。「スポーツに“もしも”は禁句」という言葉がありますが、フリューゲルスが存続していたら現在のJリーグはどんな景色になっていたでしょうか・・・
ちなみにこの1998年のラストシーズンには、ピカピカの高卒ルーキーとして、先日J1史上最多の出場回数を記録した遠藤保仁選手が在籍していました!遠藤選手の驚異的なタフさや冷静さは、ルーキーシーズンにいきなり“チーム消滅”の激動のシーズンをフリューゲルスで経験したからかもしれません。
最後の試合となった天皇杯決勝の試合球は山口素弘氏が今でも大切に保管しているそうです。